2017年08月13日

【熊本城復旧記録】二の丸広場から見た大小天守閣、宇土櫓(一列に並んだ姿)(7) 2017年8月〜

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【熊本城復旧記録】
二の丸広場から見た大小天守閣、宇土櫓(一列に並んだ姿)(1) 2016年4月〜5月
二の丸広場から見た大小天守閣、宇土櫓(一列に並んだ姿)(2) 2016年11月〜2017年2月
二の丸広場から見た大小天守閣、宇土櫓(一列に並んだ姿)(3) 2017年2月〜3月
二の丸広場から見た大小天守閣、宇土櫓(一列に並んだ姿)(4) 2017年4月
二の丸広場から見た大小天守閣、宇土櫓(一列に並んだ姿)(5) 2017年4月〜5月
二の丸広場から見た大小天守閣、宇土櫓(一列に並んだ姿)(6) 2017年5月〜8月


つづき

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2017年8月12日撮影

前回から変化はないようです。遠くから見ているので細かい変化は見えないですが・・・。

ただ、お盆休みに入り、クレーン車がなくなりました。お休み中はクレーン車も休養のため見えません。ゆっくり休んでほしいですね。

手前の葉っぱがどんどん伸び、西出丸塀の石落としがもう少しで隠れそうです。

石落としといえば、かつては『武者返し』『塵落とし』と呼ばれることも。

石落としって、名前からすると、そこから石を落して敵を撃退する装置と思いますよね。

江戸時代の戦を知らない学者によって書かれた軍学書にもそう書かれています。

でも、石落としって20〜30メートル間隔で造らています。石落としの下から登って来る敵兵には石を落せますが、それ以外のところから侵入してくる敵には通用しません。

石落としは鉄砲を下に向けて撃つ狭間です。石落としがないところから登って来る敵兵にも斜めに射撃すれば討ち取ることができます。








    
  城 用 語
    

山城 やまじろ
山の地形をそのまま活用し、山肌に築かれた城。
南北期の争乱期、籠城用として山に城が築かれるようになった。
室町時代になると居城として築かれ、戦国時代になると大規模となる。
岐阜城、安土城、岩村城、高取城、備中松山城などが有名。



posted by 夢子 at 18:02 | 2016年熊本地震後の復旧熊本城

【熊本城復旧記録】西大手門前(4) 2017年8月〜

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【熊本城復旧記録】
西大手門前(1) 2016年4月〜7月
西大手門前(2) 2016年11月〜2017年4月
西大手門前(3) 2017年4月〜8月


つづき

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2017年8月12日撮影

8月1日から観覧区域を拡大し、ここももう少し中まで行けるはずでしたが、50センチほどの陥没ができてしまい、ここは延期となりました。

先日は陥没したところにコーンがありましたが、今は何もなく、コンクリート?が置いてあります。






    
  城 用 語
    

平城 ひらじろ
平地に築かれた城。戦乱がしずまった江戸時代初期に多く築かれた。
本格的な平城としては、豊臣秀吉の大坂城が創始である。
江戸城、松本城、名古屋城、広島城、大垣城、赤穂城などが有名。

posted by 夢子 at 17:37 | 2016年熊本地震後の復旧熊本城

2017年08月11日

【熊本城復旧記録】戌亥櫓(いぬいやぐら)(6) 2017年8月〜

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【熊本城復旧記録】
戌亥櫓(いぬいやぐら)(1) 2016年4月
戌亥櫓(いぬいやぐら)(2) 2016年7月〜12月
戌亥櫓(いぬいやぐら)(3) 2016年12月〜2017年4月
戌亥櫓(いぬいやぐら)(4) 2017年5月
戌亥櫓(いぬいやぐら)(5) 2017年7月〜8月


つづき


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2017年8月7日撮影

台風5号、熊本は上陸しませんでしたが、風も強かったので、心配していたのが戌亥櫓の外れた下見板です。

下見板はちゃんとありましたが、以前と比べると位置というか向きが変わっていました。


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2017年7月24日撮影

この時と比べると違うのがよくわかります。

でも、このまま放置するのはよくないと思うから、下見板の回収してほしいな。



posted by 夢子 at 08:41 | 2016年熊本地震後の復旧熊本城

2017年08月06日

【熊本城復旧記録】加藤清正公像(3) 2017年8月〜

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【熊本城復旧記録】
加藤清正公像(1) 2016年4月〜2017年4月
加藤清正公像(2) 2017年4月


つづき


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2017年8月3日撮影

加藤清正

永禄5年(1562年)6月24日、尾張国愛知郡中村(現・名古屋市中村区)で誕生。

幼名・・・夜叉若(やしゃわか)

元服後・・・虎之介清正

父・・・加藤清忠

母・・・伊都(いと)

「清正記」清正の死後、古橋又玄(ゆうげん)がまとめた清正の一代記。1600年代中頃成立。

清正記によると、加藤家は藤原鎌足わ初代とする藤原氏の流れを汲む家柄。

清正の祖父・清信が斎藤道三に仕え、父・清忠が織田信長に仕えたと言われいるがはっきりしたことは分かっておらず。

父・清忠は足を歩くしたため武士を辞め、鍛冶師の清兵衛のもとで修業し、清兵衛の娘・伊都と結婚し清正が生まれたと伝わるが、加藤氏の素性や清正の幼少期に関しては、確かな史料が残っておらず不明な点が多い。



つづく
posted by 夢子 at 10:20 | 2016年熊本地震後の復旧熊本城

【熊本城復旧記録】馬具櫓(ばぐやぐら)(6) 2017年8月〜

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【熊本城復旧記録】
馬具櫓(ばぐやぐら)(1) 2016年4月
馬具櫓(ばぐやぐら)(2) 2016年5月
馬具櫓(ばぐやぐら)(3) 2016年7月〜11月
馬具櫓(ばぐやぐら)(4) 2016年12月〜2017年3月
馬具櫓(ばぐやぐら)(5) 2017年4月


つづき


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2017年8月3日撮影

【馬具櫓】
慶長年間(加藤時代)にも櫓があった可能性あり。
現在の櫓の形になったのは細川忠利入国後。
寛永11年(1634年)に幕府に提出した普請願の絵図に、新規建築として描かれている。

◎明治10年(1877年)の西南戦争以前、陸軍によって解体
◎昭和41年(1966年)コンクリート造りで再建
◎平成21年(2009年)白アリ被害、老朽化で解体
◎平成26年(2014年)木造で復元
          高さ7.3メートル
          床面積は130平方メートル

築城以来、馬具櫓もいろいろとありました。
平成26年に復元されたときは一般公開もされ、たくさんの人が訪れました。
そんな日がまた来るよう願いながら、馬具櫓を応援したいです。
いや、石垣が崩れても文句ひとつ言わず、弱音ひとつ言わない馬具櫓の強い姿に私がパワーを、勇気をもらっています。ありがとうございます。


つづく


posted by 夢子 at 07:59 | 2016年熊本地震後の復旧熊本城