2017年08月01日

【熊本城復旧記録】宇土櫓(うとやぐら)(9) 2017年7月〜8月

トップ > 熊本城 〜地震から復旧の道のり〜 >



【熊本城復旧記録】
宇土櫓(うとやぐら)(1) 2016年6月〜10月
宇土櫓(うとやぐら)(2) 2016年11月
宇土櫓(うとやぐら)(3) 2016年11月〜12月
宇土櫓(うとやぐら)(4) 2016年12月〜2017年2月
宇土櫓(うとやぐら)(5) 2017年2月
宇土櫓(うとやぐら)(6) 2017年3月〜4月
宇土櫓(うとやぐら)(7) 201年4月〜5月 
宇土櫓(うとやぐら)(8) 2017年7月


つづき


a00pl901.jpg

2017年7月31日撮影

宇土櫓は特に変化はありません。

よかった、よかった。

地震で傷つき、満身創痍の状態です。

応急手当するならしてもらっていないから、傷がひどくならないか自分の目で確かめるまで心配で仕方ありません。

私は素人だし、加藤神社から見るだけだから、細かいことはわからないけど、それでもいつもと変わらず居てくると安心します。



a00pl902.jpg

2017年7月31日撮影

宇土櫓は変わりませんが、後の小天守は屋根瓦が撤去されました。

いつの日か、宇土櫓の瓦も撤去される日が来るでしょう。

それまでしっかり見ておかなくては。

私にとっては、『宇土櫓が元に戻る』、これが大きな復旧なので何年後がわからないけど、宇土櫓が完全に元に戻るまで見続けたい。



20170807a31.jpg

2017年8月7日撮影

宇土櫓は以前、『小西行長の居城・宇土城天守を移転した』と言われていた。

しかし、平成2年(1990年)の修理工事報告書[平成元年の宇土櫓解体修理工事]で、

移築のこん跡は認められない

加藤清正が築城した熊本城の古い天守の可能性が指摘された


以前は宇土城から移築したなんて言っていましたが、宇土櫓は最初から熊本城にあったものです。

宇土城とはまったく関係ありません。

そして、関ケ原の戦いのときに、黒田官兵衛を新城で迎えるので工事を進めるように、との清正公が家臣に宛てた書状も残っており、宇土櫓が最初に造られた天守だと言われている。

宇土櫓の石垣は、宇土櫓よりも年代が新しいものです。

清正公が54万石の領主となる前、宇土櫓が天守で、54万石以降造られたのが西南戦争のときに焼失した天守です。

ここらへんの解明が、今後の宇土櫓の修理でもっとはっきりするだろうと、関係者は期待しています。

もちろん、私も・・・。

日々進歩する現代、部材の化学分析も進んでいるはずです。きちん年代確定がされ、関ヶ原以前のものとわかれば、国宝になる? その可能性はありますよね?

修復過程で嬉しい発見が出てくるといいな。今はそれを願います。



20170807a32.jpg

2017年8月7日撮影

大天守の破風、瓦が回収されましたが、7月31日よりも白っぽく見える。




つづく

posted by 夢子 at 10:45 | 2016年熊本地震後の復旧熊本城